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2026.10.01名前のない関係

人は、人と人との関係に名前をつけたがります。

家族、夫婦、恋人、友人、同僚、上司と部下、先生と生徒。

 

名前がつくと、その関係を理解できたような気がします。
「この人は自分にとって、こういう人だ」と整理できることで、私たちは少し安心するのかもしれません。

けれど、関係に名前がつくことには、もう一つの側面があります。名前がついた瞬間から、その関係に「こうあるべき」という役割が生まれることです。

親なのだから。
夫婦なのだから。
上司なのだから。
友達なのだから。

気がつけば私たちは、たくさんの名前のついた関係の中で、それぞれに求められる自分を演じながら生活しています。そして時々、その役割に疲れてしまいます。

 

では、診察室における医師と患者という関係は、どうなのでしょう。

もちろん、これは明確に「医師と患者」という名前のついた関係です。
そこには専門家として守らなければならない境界があり、責任があります。

精神科では、さらに「診断名」をつけることもあります。

うつ病、適応障害、不安症、ADHD。

診断名をつけることで、目の前で起きていることを整理し、治療の道筋を考えることができます。
診断はとても大切なものです。

しかし、診断名がその人そのものになるわけではありません。

「うつ病の人」になるのでも、
「ADHDの人」になるのでもない。

その人には、その名前では到底収まりきらない人生があります。

誰かの親であったり、子どもであったり、会社員であったり、経営者であったり、学生であったりする。
けれど、それらの肩書きを全部外したところにも、その人自身がいます。

 

私は、診察室がその「名前のついていない自分」に少し戻ることのできる場所であればいいと思っています。

いわゆる「サードプレイス」とも少し違います。診察室は、単に役割から解放されて休む場所ではありません。むしろ、自分の内側に少しだけ降りていく場所なのだと思います。

「本当は何がつらかったのだろう」

「どうしてあの言葉が、こんなに引っかかっているのだろう」

「自分は何を怖がっているのだろう」

「本当は、これからどう生きたいのだろう」

普段の生活では、そんなことをゆっくり考える時間はなかなかありません。

仕事をしている自分。親である自分。誰かの期待に応えようとしている自分。

そうしたものをいったん脇に置いて、自分自身を眺めてみる。

 

診察室で交わされる言葉には、すぐに答えが出ないものもたくさんあります。むしろ、簡単に名前をつけずに、一緒に保留しておいたほうがよいこともあります。

「まだ分からないですね」

そう言いながら、しばらく一緒に考える。精神科の診察には、そんな時間があってもよいのではないでしょうか。

医師が患者さんの人生の答えを教えるわけではありません。その人の人生を代わりに生きることもできません。

ただ、普段とは少し違う関係の中で言葉を交わすことで、それまで自分でも気づかなかった気持ちに気づくことがあります。

そして自分の中に残っていた小さな希望を、自分自身で見つけることがあります。

診察室を出れば、またそれぞれの日常に戻っていきます。親に戻り、会社員に戻り、経営者に戻り、学生に戻る。でも、入ってきたときとまったく同じ自分ではないかもしれない。

少しだけ自分のことが分かった。少しだけ見え方が変わった。明日をもう少しやってみようと思えた。

そんな小さな変化を持って、日常へ戻っていく。

診察室という場所が、病気を診断し、治療する場所であることはもちろんです。

それと同時に、

いろいろな名前から少し離れて、自分自身を見つめ、これからを考える場所。

そして、誰かから与えられるのではなく、自分の中にある希望をもう一度見つけていく場所。

そんな場所でありたいと思っています。

 

そしてクリニックの外では、医師と患者という名前からも離れて、

同じ世界を生きる人として、「名前のない関係」でいられたらと思います。